【本編】帰宅ツーは念願の場所へ
2018-07-01
6月18日(月)の つづきです。2011年3月。もうすぐバイクシーズンを迎えるということで買ったツーリング雑誌。その中にこの記事があった。


ここにはいつか行ってみたいと思いを馳せていた矢先に、あの震災。。大洲松川浦ラインは津波によって寸断された。その後、福島にツーリングに行くようになって、相馬に行けば松川浦大橋に向かい、通行止めの看板を見てガッカリしていた。。橋の下は津波の爪痕がかなり残っていたが、行くたびにきれいになっていく。でも、橋は相変わらず工事車両だけしか通れない。
去年、6年ぶりに橋が通れるようになったので6月に東京に行く途中に回り道。橋が通れただけでその先は通行止め。それでもバイクで松川浦大橋を渡ることができて嬉しかった。
そして、今年。大洲松川浦ラインが開通した。。。大げさかと思うかもしれないが、夢だった。行きたい。どうしても行きたい思いが「ひめさゆりバイクミーティング」と重なり、行きか帰りに走ろうと思っていた。福島にはミーティングの前日入り。その日は気温が低く、太平洋側は寒いほどの予報だったので、気温が上がる予報のイベント翌日に浜通りに回ることに決定! いよいよ夢が叶う時がやってきた。
松川浦大橋側から行くのは最初から決めていたので、南側からは入らないで回り道。ワクワクする。


去年、橋を渡ったときに太平洋側を撮らなかったので、忘れずに撮った。



松川浦も。



道路は防潮堤の内側にあり、灯台(鵜の尾埼灯台)の下のトンネルを抜ければいよいよ。。。

言葉が出ない。平日なので貸し切り状態。。復旧した新しい道。。。









バイクと太平洋と松川浦の写真を撮りながら一往復。それでは足りずもう一往復、写真を撮らず一気に走り抜けた。鵜の尾埼灯台に上がるのは次回ということで。。。
帰りにトンネルの入口(出口?)の写真を撮って、念願の大洲松川浦ラインは走り終えた。。

震災前と風景はかなり変わっていると思うが、ここか開通したことによって、観光客がさらに福島に戻って来ることを願っている。
国道6号には戻らず北上し、福島県浜通り最北の新地町。行きたかった浜は工事のため入れなかった。防災緑地の進捗状況も見れなかったが、次回に持ち越して、役場前の復興フラッグ。。自分が行くときはいつも天気が落ちついて旗がなびいていない、この時も風待ち。

デジイチならファインダーからのぞいて瞬間を連写で押さえられるが、コンデジしか持って行かず連写はできるが早すぎる。粘ってなんとかそれなりのが撮れた。
写真を撮りながら走っていると、時間をとってしまう。この時期は日が長いので自分的には少しぐらい遅くなっても明るいうちに帰れればいいのだが、自分の両親がよけいな心配をして

帰宅の時間を逆算しながらも、この場所で写真を撮らなければ有名なバイク乗りに認めてもらえない。場所は予習していたので撮影成功



もう1ヶ所寄りたいところがあったが、遅くなってしまうので次回に持ち越し。。高速(常磐道)に上がり仙台東部、三陸道、仙台北部、(この辺の区切りはよくわからない。)東北道の古川ICで下りて、47号のいつもの「あ・ら伊達な道の駅」で小休止


あとは一気に鳴子から108号を爆走






3年ぶりの「ひめさゆりバイクミーティング」。みんなに会えてとても嬉しかった。帰りは念願の「大洲松川浦ライン」を走ることもできたし、充実した福島ツーだった。
今回お会いした皆さん。いろいろと、ありがとう!
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